今回の裁判で、いわゆる過観察問題(※1)について、被告福島県は次の2つの回答を正式に表明しました。
(※1) 福島県が県民健康調査の甲状腺の二次検査で「経過観察」とされた子ども(単純合計で)2523人はその後「悪性ないし悪性疑い」が発見されても、その数を公表していなかった問題。
->その詳細はこちら
(1)、福島県には、「経過観察」中の子どものうち「悪性ないし悪性疑い」が発見された症例数を明らかにする義務はない。
その義務がない理由・根拠についても説明する気も必要もない。
(2)、鈴木眞一福島県立医大教授らの研究プロジェクト(※2)で、上記症例数を把握していようとも、この研究グループは福島県とは別者であり、福島県はこの研究グループに関知しないから、この研究プロジェクトの目的も活動も成果も知らない。
(※2)2013年12月頃からスタートした、福島県立医大甲状腺内分泌学講座の主任教授鈴木眞一を研究責任者として、山下俊一長崎大学副学長率いる長崎大学と連携しながら、福島県内の18歳以下の小児甲状腺がん患者の症例データベースを構築し、同がん患者の手術サンプル及び同サンプルから抽出したゲノムDNA、cDNAを長期にわたって保管・管理する「組織バンク」を整備する研究プロジェクトのこと。この研究プロジェクトを記載した2つの研究計画書(甲C73・同74)や研究成果報告書(甲C75)
これは、雨が降ろうが槍が降ろうが草津白根山が噴火しようが、どんなことが起きても、県民健康調査の甲状腺検査で「経過観察」となった2523人の子どものうち「悪性ないし悪性疑い」が発見された症例数を明らかにすることは決して、ぜったいしないという不退転の決意表明です。
この日の福島県をみていて、日本は今ここまで崩れているのだという思いを新たにしました。
そこで、福島県の不退転の決意表明にぜったい負けないだけの不退転の反撃を準備したいと思い、まず、この福島県の答弁の報告書《経過観察問題で「傍観者の論理・欺瞞の言語=東大話法」を全面展開した被告福島県》を書きました。 以下です。
ご参考までに。
経過観察問題で「傍観者の論理・欺瞞の言語=東大話法」を全面展開した被告福島県
https://darkagejapan.blogspot.jp/2018/01/blog-post_25.html
2018年1月27日土曜日
2018年22日の裁判の報告(1):法廷で意見陳述した原告お母さん
当日の法廷で、原告のお母さんが意見陳述をしました。
以下が、この日読み上げたお母さんの原稿です(ご本人の了解を得てアップします)。
->原稿
以下は、裁判のあとの報告会で、そのお母さんの感想動画です。
https://youtu.be/k9c7EeebvW4?t=235
これまで、3年間の子ども脱被ばく裁判の法廷で、毎回、原告の方の意見陳述を聞いてきて私にはどれも忘れがたいものですが、
これまで、ほかの法廷では経験したことのない場面に何度か出く合いました。
法廷で、意見陳述の中で歌を歌った原告のお母さん。
法廷に、赤ちゃんを抱きながら、陳述した原告のお母さん。
今回のお母さんは、法廷で、思いをぶつけるくだりになると、陳述を止め、被告席の国、福島県、自治体の代理人に向きを変えて、キッと睨み付けました。こんな意見陳述も私は初体験で、まぶたと鼓膜と脳裏に永遠に焼き付けておきたいと思いました。
当日の法廷では、裁判長が意見陳述の冒頭、このお母さんに「名前を言わなくても結構ですよ」と言ったのを無視して、堂々と自身の名前を述べ、福島県や福島市などの情報隠し、無為無策に関するくだりを陳述するたびに、被告席の福島県、福島市などの代理人を睨み付けながらの陳述の迫力に圧倒されました。
4年前、このお母さんの自宅、学校に放射能測定に行った時お会いしたのが最初でしたが、この4年間、このお母さんがどれくらい苦労して子育てをしてきたか、それが今日の陳述から偲ばれました。
このお母さんの真意を別の言葉に翻訳すれば、
「国が、県が事故直後から、子どもや親たちに避難の権利を保障していれば、こんほどの危険な目に遭わずに、親子してこれほど苦労をせずに済んだのに」
これは、もし日本にも、欺瞞的なガス抜きの法律ではなく、真実の人権法としてのチェルノブイリ法日本版が制定されていたら、こんほどの危険な目に遭わずに、親子してこれほど苦労をせずに済んだのに、という意味です。
この人間の命、健康を宝に思う、大切にするという当たり前のことをしなかった国、県に対する怒りをこれほど単刀直入に表明したお母さんの言葉は、福島の原点のひとつとして刻んでおきたいと思いました。
本日の法廷で強く感じたのは、このお母さんが、事故後の7年で、ごく普通のお母さんから、子どもの命を守るため自分の信念を貫き通す、そのためには言うべきことはどんなえらい人に対してであっても言うという信念の人に変貌したことです。
とはいえ、実際はあれこれ悩みながら、行ったり来たりのくり返しだったと思いますが、でも、或る時点で、「周りに合せて、自分のフリをする」のをやめ、「自分自身になること」を決意したお母さんに変貌した姿を見て、これこそ本当の意味で、これから長い人生を生きていく子どもにのこす最高の贈り物だと改めて心打たれました。
以下が、この日読み上げたお母さんの原稿です(ご本人の了解を得てアップします)。
->原稿
以下は、裁判のあとの報告会で、そのお母さんの感想動画です。
https://youtu.be/k9c7EeebvW4?t=235
これまで、3年間の子ども脱被ばく裁判の法廷で、毎回、原告の方の意見陳述を聞いてきて私にはどれも忘れがたいものですが、
これまで、ほかの法廷では経験したことのない場面に何度か出く合いました。
法廷で、意見陳述の中で歌を歌った原告のお母さん。
法廷に、赤ちゃんを抱きながら、陳述した原告のお母さん。
今回のお母さんは、法廷で、思いをぶつけるくだりになると、陳述を止め、被告席の国、福島県、自治体の代理人に向きを変えて、キッと睨み付けました。こんな意見陳述も私は初体験で、まぶたと鼓膜と脳裏に永遠に焼き付けておきたいと思いました。
当日の法廷では、裁判長が意見陳述の冒頭、このお母さんに「名前を言わなくても結構ですよ」と言ったのを無視して、堂々と自身の名前を述べ、福島県や福島市などの情報隠し、無為無策に関するくだりを陳述するたびに、被告席の福島県、福島市などの代理人を睨み付けながらの陳述の迫力に圧倒されました。
4年前、このお母さんの自宅、学校に放射能測定に行った時お会いしたのが最初でしたが、この4年間、このお母さんがどれくらい苦労して子育てをしてきたか、それが今日の陳述から偲ばれました。
このお母さんの真意を別の言葉に翻訳すれば、
「国が、県が事故直後から、子どもや親たちに避難の権利を保障していれば、こんほどの危険な目に遭わずに、親子してこれほど苦労をせずに済んだのに」
これは、もし日本にも、欺瞞的なガス抜きの法律ではなく、真実の人権法としてのチェルノブイリ法日本版が制定されていたら、こんほどの危険な目に遭わずに、親子してこれほど苦労をせずに済んだのに、という意味です。
この人間の命、健康を宝に思う、大切にするという当たり前のことをしなかった国、県に対する怒りをこれほど単刀直入に表明したお母さんの言葉は、福島の原点のひとつとして刻んでおきたいと思いました。
本日の法廷で強く感じたのは、このお母さんが、事故後の7年で、ごく普通のお母さんから、子どもの命を守るため自分の信念を貫き通す、そのためには言うべきことはどんなえらい人に対してであっても言うという信念の人に変貌したことです。
とはいえ、実際はあれこれ悩みながら、行ったり来たりのくり返しだったと思いますが、でも、或る時点で、「周りに合せて、自分のフリをする」のをやめ、「自分自身になること」を決意したお母さんに変貌した姿を見て、これこそ本当の意味で、これから長い人生を生きていく子どもにのこす最高の贈り物だと改めて心打たれました。
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