2018年1月27日土曜日

2018年22日の裁判の報告(2):経過観察問題に対する福島県の答弁

今回の裁判で、いわゆる過観察問題(※1)について、被告福島県は次の2つの回答を正式に表明しました。

※1) 福島県が県民健康調査の甲状腺の二次検査で「経過観察」とされた子ども(単純合計で)2523人はその後「悪性ないし悪性疑い」が発見されても、その数を公表していなかった問題。 ->その詳細はこちら

(1)、福島県には、「経過観察」中の子どものうち「悪性ないし悪性疑い」が発見された症例数を明らかにする義務はない。
   その義務がない理由・根拠についても説明する気も必要もない。

(2)、鈴木眞一福島県立医大教授らの研究プロジェクト(※2)で、上記症例数を把握していようとも、この研究グループは福島県とは別者であり、福島県はこの研究グループに関知しないから、この研究プロジェクトの目的も活動も成果も知らない。

※2)2013年12月頃からスタートした、福島県立医大甲状腺内分泌学講座の主任教授鈴木眞一を研究責任者として、山下俊一長崎大学副学長率いる長崎大学と連携しながら、福島県内の18歳以下の小児甲状腺がん患者の症例データベースを構築し、同がん患者の手術サンプル及び同サンプルから抽出したゲノムDNA、cDNAを長期にわたって保管・管理する「組織バンク」を整備する研究プロジェクトのこと。この研究プロジェクトを記載した2つの研究計画書(甲C73・同74)や研究成果報告書(甲C75)

これは、雨が降ろうが槍が降ろうが草津白根山が噴火しようが、どんなことが起きても、県民健康調査の甲状腺検査で「経過観察」となった2523人の子どものうち「悪性ないし悪性疑い」が発見された症例数を明らかにすることは決して、ぜったいしないという不退転の決意表明です。
この日の福島県をみていて、日本は今ここまで崩れているのだという思いを新たにしました。

そこで、福島県の不退転の決意表明にぜったい負けないだけの不退転の反撃を準備したいと思い、まず、この福島県の答弁の報告書《経過観察問題で「傍観者の論理・欺瞞の言語=東大話法」を全面展開した被告福島県》を書きました。 以下です。

ご参考までに。

経過観察問題で「傍観者の論理・欺瞞の言語=東大話法」を全面展開した被告福島県
https://darkagejapan.blogspot.jp/2018/01/blog-post_25.html

2018年22日の裁判の報告(1):法廷で意見陳述した原告お母さん

当日の法廷で、原告のお母さんが意見陳述をしました。
以下が、この日読み上げたお母さんの原稿です(ご本人の了解を得てアップします)。
->原稿

以下は、裁判のあとの報告会で、そのお母さんの感想動画です。
https://youtu.be/k9c7EeebvW4?t=235

これまで、3年間の子ども脱被ばく裁判の法廷で、毎回、原告の方の意見陳述を聞いてきて私にはどれも忘れがたいものですが、
これまで、ほかの法廷では経験したことのない場面に何度か出く合いました。
法廷で、意見陳述の中で歌を歌った原告のお母さん。
法廷に、赤ちゃんを抱きながら、陳述した原告のお母さん。

今回のお母さんは、法廷で、思いをぶつけるくだりになると、陳述を止め、被告席の国、福島県、自治体の代理人に向きを変えて、キッと睨み付けました。こんな意見陳述も私は初体験で、まぶたと鼓膜と脳裏に永遠に焼き付けておきたいと思いました。

当日の法廷では、裁判長が意見陳述の冒頭、このお母さんに「名前を言わなくても結構ですよ」と言ったのを無視して、堂々と自身の名前を述べ、福島県や福島市などの情報隠し、無為無策に関するくだりを陳述するたびに、被告席の福島県、福島市などの代理人を睨み付けながらの陳述の迫力に圧倒されました。
4年前、このお母さんの自宅、学校に放射能測定に行った時お会いしたのが最初でしたが、この4年間、このお母さんがどれくらい苦労して子育てをしてきたか、それが今日の陳述から偲ばれました。
このお母さんの真意を別の言葉に翻訳すれば、
「国が、県が事故直後から、子どもや親たちに避難の権利を保障していれば、こんほどの危険な目に遭わずに、親子してこれほど苦労をせずに済んだのに」
これは、もし日本にも、欺瞞的なガス抜きの法律ではなく、真実の人権法としてのチェルノブイリ法日本版が制定されていたら、こんほどの危険な目に遭わずに、親子してこれほど苦労をせずに済んだのに、という意味です。

この人間の命、健康を宝に思う、大切にするという当たり前のことをしなかった国、県に対する怒りをこれほど単刀直入に表明したお母さんの言葉は、福島の原点のひとつとして刻んでおきたいと思いました。

本日の法廷で強く感じたのは、このお母さんが、事故後の7年で、ごく普通のお母さんから、子どもの命を守るため自分の信念を貫き通す、そのためには言うべきことはどんなえらい人に対してであっても言うという信念の人に変貌したことです。
とはいえ、実際はあれこれ悩みながら、行ったり来たりのくり返しだったと思いますが、でも、或る時点で、「周りに合せて、自分のフリをする」のをやめ、「自分自身になること」を決意したお母さんに変貌した姿を見て、これこそ本当の意味で、これから長い人生を生きていく子どもにのこす最高の贈り物だと改めて心打たれました。





2015年6月13日土曜日

「6月17日子ども脱被ばく裁判の第1回期日直前」の記者会見のお知らせ


福島地方裁判所に、昨年8月29日に、第一次提訴の子ども人権裁判(原告23名)親子裁判(原告84名)を、本年1月14日に、第ニ次提訴子ども人権裁判(原告12名)親子裁判(原告82名)、今月末に第三次提訴を予定している子ども人権裁判・親子裁判(合わせて子ども脱被ばく裁判)の第1回口頭弁論が今月23日午後3時におこなわれます。
そこで、この第1回口頭弁論に臨む原告と原告代理人による記者会見を、来週17日(水)午後1時半から、下記の要領で福島県庁の県政記者クラブで行います。
先ごろ、福島県は2017年3月末で自主避難者への住宅支援を打ち切る方針を発表し、大きな反発・混乱を引き起こしました。原発事故以来、除染にせよ、県民健康管理調査にせよ、借上げ問題にせよ、面々と続く様々な混迷・混乱の根本的な原因は、原発事故直後に国と福島県が責任をもって県民、とりわけ子どもたちを安全な場所に避難させなかったことにあります。彼らが責任をもって集団避難さえすれば起きなかったことが、それをしなかったために起き、事態を紛糾させています。これらの問題を正しく解決するにはこの原点に立ち返って考えるしかありません(それは、沖縄の翁長知事が「普天間の原点は銃剣とブルドーザーで強制収容された場所だということ」といい、この原点に立ち返って沖縄の人権問題を考えれば正しい解決の方向は誰の目にも明らかだと指摘したのと同じです)。それをやろうとしているのが今から始まる子ども脱被ばく裁判です。
 福島の子どもたちの避難を求めて2011年6月にふくしま集団疎開裁判を提訴しましたが、これまで国内ニュースに殆ど取り上げられてきませんでした。しかし、福島の子どもたちの命と平和を憂慮する全ての国民は、この裁判に注視しています。ぜひ、貴社の取材・撮影をよろしくお願いいたします。
                                記
1、第1回口頭弁論
 日時:6月23日3時
 場所:福島地方裁判所
2、記者会見
 日時:6月17日1時半~
 場所:福島県庁・県政記者クラブ
 参加者:原告 原告の会代表 長谷川克己 ほか
     弁護団長 光前幸一(東京弁護士会)・弁護団 柳原敏夫(東京弁護士会)
 連絡先:090-2550-8306(柳原)

3、子ども脱被ばく裁判の概要
(1)、裁判の内容(2つの裁判)
    安全な環境で教育をうける子どもの権利を確認する裁判(子ども人権裁判)
現在、小中学校に通う子どもが原告になり,小中学校の設置者である市町村に対し,子どもたちに放射能の危険のない安全な環境で教育を受ける権利が憲法で保障されていることの確認を求める裁判。
    原発事故後の国と県の安全対策の違法性を問う裁判(親子裁判)
原発事故のあと福島県内に居住していた子どもとその保護者が原告になり,国と福島県に対し,国や福島県には子どもたちの健康を守る義務があるのに,原発事故のあと,子どもたちを被ばくから守ろうとせず,無用な被ばくをさせ,子ども及びその保護者達に筆舌に尽しがたい精神的苦痛を与えたことを理由とする慰謝料請求の裁判。
 請求額は1人10万円。10万円としたのは,多額の金銭の支払を受けることよりも,国や福島県がとった政策が違法であることを司法の場ではっきりさせることを目的としたから。
(2)、裁判の目的(標語的に表現すれば)
・見えない戦火のなかの子どもたちを救い出す裁判
・世界で最も過酷な子育て中の福島の親子を救い出す裁判
 ・国と福島県の3.11以後の安全対策の誤りを裁く裁判
・経済復興・帰還最優先の政策を命の復興最優先の政策に転換させるための裁判

4、提訴に寄せられた著名人の方々のメッセージ
①.小出裕章さん京都大学原子炉実験所
 決して事故など起きないと言われてきた福島第一原子力発電所が事故を起こしてからすでに3年半近い歳月が流れました。 発電所の敷地内では、事故は一向に収束できないまま放射能汚染水が汚染を広げ、最低賃金すら受け取れないと言われる労働者たちが放射能を相手に苦闘を続けています。 周辺では10万を超える人々が、故郷を追われ、生活を根こそぎ破壊されて苦難のどん底にいます。
 さらに、日本の法令に従えば放射線管理区域に指定しなければならない場所に、赤ん坊も子どもも含め数百万の人たちが、棄てられてしまいました。
 一方、この世紀の大犯罪に責任がある東京電力と日本政府は誰一人責任を取らないままです。
 子どもたちは原子力を暴走させたことに対して責任がありません。 福島第一原子力発電所の事故が起きたことにも責任がありません。 それなのに、毎日見ていても面白いほどに成長する子どもたちこそ、放射線被曝に対する感受性が高いのです。 そうであれば、子どもたちを被曝から守ることは大人たちの最低限の責任です。 子どもたちを守ってあげたいというのではありません。
それをしないで生きていれば、私は私自身を許すことができません。
もちろん、それをしないで知らぬ顔をする政府、東京電力には徹底的に責任を取らせたいと思います。 子どもの被曝を少しでも少なくするために、私は私の力を使います。 非力ですが、無力ではないはずです。
被害者の方々の苦難の重さは私には量れません。 しかし、諦めることなく、挫けることなく生きてくださることを願います。  

②.ちばてつや さん(漫画家)
 未来のある子ども達のため、ほんの少しでも安全性に疑いがあるなら、例え5年10年後に「大げさだった」と誹られても構わないから、何をさておいても、どんな事情があっても、まずは安全な場所に疎開させてあげて欲しい。 根拠の無い、盲目的な安全神話にまどろみ、原発政策を、そして何よりも取り返しのつかない原発事故を、未然に防いであげられなかった自責の念が癒える事 の無い今、せめてこれからのことについては、できる限りのことをしていかなければ、僕たちは永遠に子ども達の「眼」を見て話が出来なくなってしまう。
                      (文責)弁護団 柳原敏夫

2015年3月16日月曜日

提案:この裁判プロジェクトの命名について(2011.6.18)

皆さま

こんばんわ、柳原です。
‥‥
この裁判の取組みを行なう会に名前をつけ、口座を開設する必要があり
ます。
ちょうど、母乳の放射能調査を行なった団体が「母乳調査・母子支援ネット
ワーク」と命名し、カンパを募る口座を開設したように。

皆さんから、これぞという名前を出していただけますか。

以下は私のアイデアです。

「26条の会」
「26条裁判の会」
「26条裁判プロジェクト」

理由は私自身の自己批判を込めたものです。私は、ごく一般的な法律家の例に
もれず、憲法を最もバカにし、軽視してきました。抽象的な言辞を書き連ねた
だけで、現実の紛争にはクソの役にも立たないと考えてきたからです。

もともと私は、著作権法を専門とするいわゆるブル弁です。しかし、著作権法
の仕事をする中で、人々に感銘・感動を与える作品を作り出す人たち(クリ
エーター・アーティスト)が、著作権法の中で最も劣悪、悲惨な地位に置かれ
ていることを知り、その不条理・不合理な法秩序に次第、疑問と不満を抱くよ
うになりました。
そして、最も価値ある物=作品を作り出した者こそ、その創作行為に相応しく
最も尊重されてしかるべきではないか、という真理に到達した時、それを支え
てくれる根拠を探し求めましたが、ふだん仕事で使う法律の中にそんなものは
見つかりませんでした。結局、探し求めた末に最後に出会ったのが、それまで
最も軽蔑していた憲法でした。無知な私は憲法の正体を知らなかったのです。
そのとき初めて、憲法こそ自分の最も支えになる規範なのだということを、つ
まり憲法の価値、その普遍的な意義を体験しました。
憲法は私にとって21世紀のバイブルとなりました。

その経験のあと、世界の憲法の歴史を振り返ったとき、世界史でも、人々は、
スケールは比べるべくもありませんが、本質的には私と同じような無知の涙を
流す体験をくり返していることを知りました。
憲法は、人々が、悲惨な現実、不条理な現実に対し、人々がこれに甘んぜず、
「おかしい!」「許せない!」と抗議の声をあげ始め、葛藤し続けた末に、初
めて人々の前に姿を現したものだからです。
世界史で憲法が登場したのは、3つの大激動のあとです。
最初が17~18世紀の市民革命・独立戦争のあと。

世界最初の憲法である米国のバージニア憲法はこう宣言しました。
「政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立される。
いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた
場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、変改し、または廃止する権
利、いわゆる革命権を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることの
できない、また棄てることもできないものである。」(第2条)
これは米国の独立戦争のときだけでなく、今なお、普遍的な真理です。

2番目が、過酷な大量殺戮兵器の出現、世界史上、未曾有の死傷者(死者一千
万人、負傷者二千万人以上・行方不明者七百万人以上)・被害・惨禍をもたら
した第一次世界大戦のあと。

敗戦国ドイツで制定されたワイマール憲法は史上初めて、生存権を宣言しました。
「経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障することを目
的とする正義の原則に適合しなくてはならない。経済的自由は、この限界内で
確保される」(151条)
これも第一次大戦のときだけでなく、今なお、普遍的な真理です。

3番目が第一次大戦をはるかに上回る(死者だけで六千万人以上)第二次世界
大戦のあと。

「戦争放棄」などいう大それた、大掛かりな条文が史上初めて憲法に登場した
のは、この未曾有の悲惨・不条理極まりない現実を体験したからです。

憲法は、人間が、狂気と凶器に走り、悲惨な現実、不条理な現実と直面した挙
句に、正気に帰ったときに見出した言葉=真理のことです。なぜなら、それは
普遍的な価値を体現しているからです。

だから、今、福島原発事故という未曾有の人災に直面した私たちは、正気に帰
って、憲法に戻るべきです。

なぜなら、これまで原発を推進してきた人たちの倫理は、いま生きている個人
の生命・健康を、お金(経済的)と天秤にかけて、「そんなに費用がかかるの
であれば、被ばくの安全基準とすることはできない」と平気で言ってのけてき
たものだからです。これは「他者を自分を愛するのと同じように愛せ」という
人権思想の根本からみたとき、狂気です。

私たちは、狂気から離れ、正気に向かう必要があります。それが憲法に戻ると
いうことです。

その意味を込めて、この裁判は私たちが正気に戻るための裁判、人類の普遍的
な原理である憲法に立ち戻るための裁判と考えたのです。

26条というのは、憲法の以下の条文のことです。

1. すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教
育を受ける権利を有する。
2. すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を
受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

憲法の立場からすれば、福島の生徒は無償で、疎開し、安全な環境のもとで教
育を受ける権利が保障されるべきなのです。